彼は長年GBSのエースライダーとしてチームに貢献してくれました。
僕たちは君のことを忘れない・・・

パーソナルデータ

近藤 湧也 (こんどう ゆうや)
生年月日 1992年 6月11日
千葉県 出身

享年26歳…

経歴

2007年 15歳で筑波選手権GP125クラス 参戦開始
2011~2013年 全日本選手権 ST600クラス フル参戦
2014年 全日本選手権 ST600クラス フル参戦 総合ランキング9位
2015年 全日本選手権 ST600クラス フル参戦 総合ランキング6位
2016年 全日本選手権 JSB1000クラス フル参戦 総合ランキング20位
2017年 全日本選手権 JSB1000クラス フル参戦 総合ランキング12位
2018年 全日本選手権 JSB1000クラス フル参戦 総合ランキング 18位

2019年3月26日 テスト中の事故により他界…

2019年3月26日に26歳という若さでこの世を去った近藤湧也。
近藤は3月13日に岡山国際サーキットで行われたテストで転倒し頭部を強打、病院に搬送された。
意識不明の状態で数日間治療が続けられたが、3月26日に息を引き取った。

2019年シーズン、その若きライダーを起用してJSB1000クラスに参戦予定だったGBSレーシングの後藤代表は「本気で近藤湧也をファクトリーライダーにすることを目的にしていた。志し半ばですごく悔しい・・・」と胸中を明かした。

近藤とGBSレーシングとの関係は2010年に始まり、2011年から本格的に全日本選手権ST600クラスに参戦を開始。
2016年からはともに最高峰のJSB1000クラスにステップアップし、2019年は4年目のシーズンに挑むはずだった。
また、近藤は同年からヤマハ発動機とテストライダー契約を交わしており、将来が期待されるライダーのひとりとして注目されていた。

近藤とともに全日本選手権を戦ってきた後藤代表は「(近藤)湧也とは2011年からGBSで全日本ST600クラスにフル参戦を始めました。
その成り立ちを話すと長いですが、最初は湧也と一緒にハイエース一台で全国を回りレースを戦っていました」と近藤との思い出を語る。
「そんな小さなチームだったんですよ。
バイク一台にちょっとした機材、メカニックひとり、ライダーひとりのふたりだけのチームでした。
周りからは『湧也と後藤さんは二人三脚でやってきたからね』ってよく言われるんです。
そういう意味でも僕にとっては思い入れが深いライダーなんです。
だから湧也の死は本当に辛い」

また、後藤代表は「近藤湧也をファクトリーライダーにする」ということを目的に全日本選手権に参戦してきたと話す。
「僕は湧也をヤマハのファクトリーライダーにすることを目的に活動して、湧也はGBSを大きくして有名なチームにすることを目的にしていたんです。
そして数年がたち、チームも大きくなったし、湧也もヤマハとの契約ができて・・・
お互いの夢が少しずつ叶ってきたところだったのに、志し半ばでとても悔しい・・・」

(auto sport webからの記事を抜粋)

近藤湧也のお墓は下記の住所になります。
お近くにお越しの際はお立ち寄りいただければ幸いです。
交通アクセス|法雲山 仙寿院|日蓮宗 寺院ページ (nichiren.or.jp)

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